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2002.8.30(金) 第160天 晴れ |
東北旅遊(第10日、瀋陽→大連) 午前中、九・一八博物館、瀋陽故宮見学。 午後高速バスに乗り大連へ |
6:10起床 7:55小北辺門 ↓(バス) 8:00九・一八博物館 10:40 ↓(バス) 10:50小西門 ↓11:10瀋陽故宮 12:20 (昼食) 13:30 ↓(バス) 13:40物価局→宿 13:50長途汽車駅 14:30瀋陽発 ↓(高速バス) 20:20大連汽車駅到着 ↓(タクシ) 8:40大連駅 ↓(ワゴン車) 8:50宿着 四季シン客舎泊 |
6:10起床。 荷物を整理したあと、しばらく付近を散歩。 この周りも表の通りから外れるといつもの中国の朝の風景。 7:15宿に戻り朝食。 この宿も朝食付きだ。 お粥とパンとシエンツァイ。 ここのシエンツァイは茄子を細く切ったのが入っていておいしかった。 部屋に戻りリュックに荷物を詰めて退房。(7:50) フロントで火車駅から9・18歴史博物館への行き方を訊ねると、バスはすぐそこの大通りを通っているという。 荷物はここで預かってくれる。 7:50小北辺門(近くのバス停)からバスに乗り9・18歴史博物館へ。 1kmほど離れた所だ。 8:00、9・18歴史博物館前到着。 まだ開館していなくて道ばたに腰を下ろして休憩。 しばらくすると人が動き始めた。 門票を買って中に入る。 まだ、開館には少し早い感じ。 入り口の広間に係員が集まって、日本語での挨拶を皆で復誦している。 「いらっしゃいませ。」 「トイレはあちらです。」など、、、 1931年9月18日は関東軍が南満州鉄道の線路を爆破して満州事変(9・18事変)を起こした日。 そしてここはこの爆破事件の起きた場所。 この日から日本敗戦までの14年間を中国人の屈辱的な歴史として決して忘れないぞ、という決意を示したものだ。 博物館の中を約2時間かけて回る。 なかでも、31歳の女性が獄中で子供にあてて書いたという遺書を読んだ時には思わず涙がでそうになった。 10時半過ぎ、9・18博物館を出る。 地図を見るとここから瀋陽故宮へは今朝乗った212路線バス1本で行けそうだ。 10:50小西門というところでバスを降りる。 ここから歩いて瀋陽故宮へ向かう。 瀋陽故宮は北京の故宮を小型にしたような感じ。 その昔、高校時代に世界史で「満州八旗」というのを教わった記憶がある。 このシンボルの旗が一つずつ一つの建物の中に飾られてあった。 これがそーか?という感じ。 12:20故宮を出て前の通りで昼食。 この食堂、なんとビール(大瓶)が1本1元。 ビールも注文して昼食をとる。 昼食の後再び212路線のバスに乗り宿へ帰る。 ここでリュックを受け取り瀋陽北駅前の長距離バスターミナルへ。 14:30発大連行き高速バスの切符を買う。 この高速道路、あちこち工事中(改修中)で、その区間片側が閉鎖されて片側一車線ずつの道路になっている。 それに工事区間はがたがた道。 併せて、例のスピードの遅いトラックが走っている。 ガイドブックによると大連まではバスで5時間とあるが、約6時間かかった。 大連バスターミナルに着いたのは20:20分。 不思議なことにここにはいつもいる宿を斡旋するおじさん、おばさんがいない。 いるのはタクシだけ。 ここでは宿を見つけにくいと思い、タクシで大連駅まで出る。 タクシで大連駅までは8元で行けるという。 このタクシ、私が大連駅までといったのに、勝手に大連の中心地、ホテルが沢山あるところまで勝手に連れてきた。 私が「大連駅」というと、渋々大連駅へ引き返した。 料金は9.9元を示していたが「8元でいいね」と念押しして8元だけ払った。 駅前で大連の地図を買い、宿斡旋のおばさんを捜す。 ここも少ないようだ。 看板を持った女の子がいたので声を掛ける。 ここから少し遠いところだが部屋があるというのでワゴン車に乗せてもらい向かう。 エアコン付き100元、エアコンなし80元。 エアコンなしに決める 四季シン客舎。(シンの字は金三つ) 荷物を置き夕食へ。 夕食のあと網バー(ワンバー)へ。 1軒目は日本語不可、2軒目はOK。 メールをチェックし返事を書く。 宿に戻るともう11:10。 もうシャワーが出ない。 あきらめて寝る。 |
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