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2002.10.7 (月) 第198天 曇りのち晴れ |
長江三峡旅遊第5日(石宝砦、豊都鬼城) |
5:25起床。 6:25下船 ↓ 石宝砦 ↓ 7:40乗船 ↓ 13:50豊都着 ↓ 豊都鬼城 ↓ 17:00豊都出航 ↓ 重慶へ |
今朝は5:50にアラームを掛けていた。 目覚ましより早く5:25に起床、顔を洗う。 他の二人も起きる。 6:25、導遊のXXX小姐に連れられて石宝砦見学に出かける。 朝食は船に帰ってきてからということだ。 両側に店が並んだ細い路地を抜けると立派なお寺がある。 霧がかかっていて全貌が見えない。 未だ薄暗い建物の中を上へ上へと登っていく。 途中、関羽の像だという所に出る。 さらに登り最上部。 霧が晴れず見通しが利かないが、岩山に張り付いて建てられた大きなお寺のようだ。 下りは外の石段を降りる。 土産物屋がたくさんある。 7:30には船がでるというので導遊のXXX小姐に急かされながらも、所々で足を止める。 女性達はどちらかというと食物を見ているようだ。 また、大きなみかんやジャガイモの揚げ物を買っている。 7:40には船に戻る。 船に戻ってしばらくすると服務員が各部屋の人員確認に来た。 時間が来たら勝手に出航ということではなさそうだ。 朝食の案内があり2楼で朝食をとる。 朝食後2楼の通路を通って部屋に帰る途中、開いていたドアを何気なく覗くとハルピンから来た人たちの部屋だった。 目が合い部屋に招き入れられる。 彼らの部屋は6人部屋。 隅には小さなシャワー・トイレ室が付いている。 しばらくここでお話し。 昨日知り合った西安の母子のお母さんもなぜかこの部屋に入ってきて話しをする。 このお母さん、西安の人だが話す言葉は聞き取りやすい。 ハルピンの人たちの話の方が私には聞き取りにくい。 このことを彼らに話すと「これが東北普通語だ」と言っていた。 彼らにとっても他の土地の言葉は聞き取りにくいという。 外国人に取ってはなおさらだという。 彼らがまたデッキに上がるというので私も上がってみる。 朝霧がかかっていて曇り空。 風が冷たく感じられる。 昼食が終わり13:50頃、豊都に到着。 昨日から同室のおばさんはここで下船してバスに乗り四川省湖林まで帰るという。 私たちもすぐに下船し歩いて鬼城へ向かう。 豊都の街も至る所取り壊しが行われている。 この街はもうすぐダムの底に沈んでしまう。 新しい街が向こう岸に造られている。 しばらく歩いて鬼城に到着。 リフトに乗り上まで上がる。 薬王殿、奈何橋を渡る。 導遊のXXX小姐が説明してくれるのだが、よく聞き取れない。 人間の煩悩を表す沢山の鬼の像が並ぶ通りを抜けさらに奥へ進む。 鬼門関を抜ける。 ここから先は死者の世界だという。 さらに進むと天子殿。 門の前に四角い石の囲いがあり、この囲いの中で3秒間片足で姿勢を保ってから中に入る。 前世で悪いことをした人は3秒間保てず足をついてしまうそうだ。 この先に閻魔様が居る。 閻魔様の所から左に折れていくと地獄で責めを受けている人たちがいる。 ここの土産物屋で長江の本を買う。 XXX小姐が私のと2冊で60元(1冊30元)のところを55元→50元と負けさせる。 さすがだ。 ここは外国人観光客も多い。 立派なお寺だ。 下りもリフト。 下に降りるともう4:20。 4:30が出航予定時刻だ。 急いで船に帰る。 帰る途中の露店で大きな蜜柑を買う。 二つ5元と言うのを1個2元で買う。 ここは鬼城というだけあって、幽霊の人形なども売っている。 私もいいおみやげがないかと探しているがなかなか見つけられない。 夕方5時過ぎ船は豊都を出航。 しばらくデッキで風に当たる。 山陰に沈む夕陽が美しい。 ただ全体にもやがかかったような状態でまわりの景色はぼんやりしている。 夕方6:30夕食。 夕食後3楼のロビーで長椅子を向かい合わせにしてみんなでゲームをやる。 「リンリンチーバン」や「ディビィディビィディ」や「ダンコン・チンコン」という韓国人学生の間ではやっているゲームだ。 XXX小姐が主導、彼女まだ1X歳だがなかなかしっかりしている。 「リンリンチーバン」は声を出さないバージョンもやった。 負けた人の罰では「インディアンバン」と言って皆で背中をたたく。 XXX小姐によると韓国人学生の間でやるときはたたくときも思い切りたたくそうだ。 私たちのゲームをロビーを通る人たちが立ち止まっては眺めていく。 9時頃までゲームは続いた。 ゲームを終えて皆で夜のデッキに出てみる。 星が見えるが回りが船のあかりで明るいので沢山は見えない。 北斗七星を探そうとしたが見つけられなかった。 9:15過ぎデッキから降りて部屋に戻りシャワー。 そのあと今日もXXさんとビールで乾杯。 |
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